◇2009年10月14日、白梅学園清修中高一貫部は、全学年生徒対象に講演会を開催。進路指導の一環として催されたのであったが、ひと味もふた味も違う内容だった。
◇講演に立ち臨んだのは、左腕のカメラマン林建次さん。「中学道徳2」(光村図書)に掲載されている「生きるために人は夢を見る―左腕のカメラマン林建次」(伊藤史織著)の主人公。
◇林さんは、23歳のときに交通事故で右手の機能を失ったが、左手でカメラを持ち、レリーズを口にくわえ、歯でシャッターを切るスタイルで、生きるために夢を見るカメラマンの道を歩むことになった。
◇極限状況と不安の日々から「生きる」ことの意味を見出す人間の生き様を語り、生徒と共感する場を生みだした。

◇キャリア・デザインのプログラムは、文科省も推奨しており、日本全国で盛り上がっている。しかし、その実態は、進路先指導・受験指導・大学情報提供の三点セットで終わっていると早稲田大学大学院教職研究科の三村隆男教授は指摘している。
◇それは学校教育法の条文(30-2、49、62等)によるので、仕方がない面もあるという。どういうことかというと、テストなどで計測できる思考力や表現力、判断力という意味での能力主義の側面しか規定されてこなかったからである。
◇しかし、99年12月以降、中教審答申では、進路先よりも前に、職業観や勤労観という価値観なくしてキャリア教育なしという考え方を打ち出した。三村教授はそういう価値観を大切にするキャリア教育が現場で根付いていないことを指摘している。
◇今回の白梅学園清修の講演会は、このようなキャリア教育の壁にぶつかる卵になった。これは村上春樹氏が、エルサレムの講演で、壁にぶつかる卵になるのが本望であるという講演をして一時話題になったが、講演者の林さん、パネラーの伊藤史織さん(林さんと共著を書いている作家)、そして同じくパネラーの清修の副校長柴田先生は、一丸となって卵となって壁に立ち臨んだ。
◇講演は、林さんが一方的に話すだけではなく、コーディネーターの岡部憲治さんと対話しながら、そして興味深いことに生徒と対話も交えながら進められた。また講演をうけて第二部ではパネルディスカッションが行われた。
◇この講演プロジェクトは、用意周到に行われた。一般的には講演者にテーマを伝えて、あとは講演当日を迎え、先生よろしくお願いしますで始まり、ありがとうございましたで終了するのだが、そういう講演者による一方通行的講演会は今回はとらなかった。

◇というのも、今回はスコア化できない才能の話が中心だからだ。能力と才能は日常的には同じように使われている言葉だが、極限状況を体験して人生を歩んでいる生き様を支える才能は、資格試験のような尺度では測定不能である。
◇メーターを振り切る生徒1人ひとりの存在を支える価値観に挑むわけであるから、共鳴・共感という理解の場が生まれないと、伝わらない。知識や論理は理解しても世界は変わらない。しかし、不安というセンサーに敏感な中高生の時代は、才能の理解は心に染みる。影響は大だから、一方でリスクマネジメントもしなければならない。
◇柴田副校長と鈴木教務部長は、何になりたいかの前に何をしたいのか、その価値観の形成、その覚悟が社会に出て本当の意味で活躍できるエンジンになるのではないかと確信しながらも、根源的な人間の生き様に迫る不安も感じ取っていた。
◇だから、講演会の前に、道徳の教科書を読んで、感じたことを言葉で表現するプログラムから開始した。思考と気持ちの準備をしたのである。この段階で、生徒たちはいろいろ感じ、考えたようである。
・病気になったり、事故にあったりすると本当に大切なことがわかるって本当なんだなって思った。
・夢があればどんなに辛くても頑張れるんだな。
・私よりも辛い思いをしてる人はいるのに、私は何をやっているのかなって思った。
・まずは自分のスタイルを確立させる事が大切なのかなと。
・歯でシャッターを押すなんてすごいと思う。
・もし私が事故にあったら、林さんみたいに頑張れるのかな。
◇もちろん、講演を聞いて、感じ方は変わるかもしれない。講演終了後、振り返るプログラムも設定している。
◇ともあれ、先生方が本物の進路指導を考えているときに、伊藤さんが書いた林さんについての文章を読んだ。そして実際に会って話してみた。ボクサーや役者、企業のオーナーなど、ふだんは和やかで微笑んでいるが、ある瞬間スイッチがはいる、そのときの姿は祈るような姿で、そこに人間の崇高さを感じるのだという林さん。そのとき被写体と同化している林さんの生き様を描いている伊藤さん。
◇壁にぶつかったとき、不安や恐れが迫り来る。テレビで映されるのは、闘っているときのボクサーの強靭さばかり。しかし、リングに立ち臨む直前、その迫り来る不安と恐れをどうやって克服するのか、その瞬間を林さんは撮っている。
◇事故で右腕の機能を失ったのに、痛みは今も続く。林さんにとって右腕は、常に極限状態を意識させる存在なのだ。ボクサーも林さんと同じ極限状態を迎える時がある。その瞬間を共有したいと林さんは思っているのだ。ボクサーもそんな写真家林さんがその瞬間にいてくれることが心強いという。

◇これは役者も同じことだという。舞台にでる瞬間、役者としてどこまで人間そのものに迫れるか、祈るような構えをするときを迎える。このスイッチが入る瞬間。その覚悟の瞬間を写真に撮るのである。その瞬間の崇高さ、美しさ。

◇柴田先生は、このスイッチを入れられる瞬間を持てる人間、その覚悟を持てる人間でなければ、この激変の社会ではサバイバルできないと考えている。確かに社会はまだまだ女性には厳しい。白梅学園清修の女子教育の思いと熱は、ヒューマニズムの理念から生まれてくるが、その理念はスローガンではない。それは思いとなり、教育実践となる。その成果は、もちろん大学実績につながるが、社会でリーダーシップを発揮する人間力そのものに結実する。

◇壁にぶつかる姿、スイッチを入れる瞬間、それを講演者、パネラー、コーディネーターといっしょにやってみせる。ものごとの信頼性や正当性は、最終的にはスコアでは決まらない。迷いながら悩みながら、正しく生きる生き様に立ち向かう姿勢をいかにシェアし合うかにかかっている。


